ボードレール語録

「悪」印象が強いけれど、決してそれどころではないボードレールの魅力を広めたい一心で。

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    『パリの憂鬱』37・ 窓 (予定)
    XXXV. LES FENÊTRES
      Celui qui regarde du dehors à travers une fenêtre ouverte, ne voit jamais autant de choses que celui qui regarde une fenêtre fermée. Il n’est pas d’objet plus profond, plus mystérieux, plus fécond, plus ténébreux, plus éblouissant qu’une fenêtre éclairée d’une chandelle. Ce qu’on peut voir au soleil est toujours moins intéressant que ce qui se passe derrière une vitre. Dans ce trou noir ou lumineux vit la vie, rêve la vie, souffre la vie.
     Par-delà des vagues de toits, j’aperçois une femme mûre, ridée déjà, pauvre,
    toujours penchée sur quelque chose, et qui ne sort jamais. Avec son visage, avec son vêtement, avec son geste, avec presque rien, j’ai refait l’histoire de cette femme, ou plutôt sa légende, et quelquefois je me la raconte à moi-même en pleurant.
     Si c’eût été un pauvre vieux homme, j’aurais refait la sienne tout aussi aisément.
     Et je me couche, fi er d’avoir vécu et souffert dans d’autres que moi-même.
     Peut-être me direz-vous: « Es-tu sûr que cette légende soit la vraie ? » Qu’importe ce que peut être la réalité placée hors de moi, si elle m’a aidé à vivre, à sentir que je suis et ce que je suis ?


     ぶっちゃけるまでもない事ながら久し振り。
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 21:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
    ラ・ファンファルロ(冒頭)
     サミュエル・クラメール、その昔、マヌエラ・デ・モンテヴェルデという名前で狂乱的にロマンティックな文章を発表していたこともある(ロマン主義の元気だった時代の話だ)、青白いドイツ男と褐色のチリ女の間に出来た矛盾の産物である。
    この二重の起源にフランス的教育と文学的素養を加えてみれば、諸君らにも奇妙に入り組んだ彼の性格に対する奇異の念を少しは減じることが出来るかも知れない(納得も教訓も得られないものとしてもだ)。 
    サミュエルは汚れなく気高い額と、コーヒーの雫のように輝く瞳、悪戯っぽく嘲笑的な鼻、破廉恥で肉感的な唇と、四角く張って威圧的な顎、いかにも気取ったラファエロ風の髪だった。
    大変なのらくら者であると同時に痛ましい野心家で、また名高い落伍者の一人でもあった。それというのも、彼はほとんど理想なるものを、その中途半端な観念に満ちた生活の中で持ってはいなかったのである。無精の太陽が身の内で絶えることなく燃え盛っていたため、彼は天の賦与したこの半端な天才さえも、自ら蒸発させ、消尽させてしまったのである。
    これら、私が恐ろしげなパリ生活での間に出会ってきた半偉人達の中でも、とりわけサミュエルは、誰にも増して出来損なった傑作の著者であった。病的で空想的、ポエジーというものがその作品の中よりも人格於いて更に煌めいているといった類の人物で、午前一時の頃合いに、石炭の炎の眩さや時計のチクタク鳴る音の中ではいつも、その巨大で法外なことといったら叙事詩でもあるかのような不能を司る、現代に於ける半陰陽の神のように見えたものである!
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 03:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
    パリの憂鬱 10・午前一時に
    すべての人間に不満であり、私自身にも不満である。この夜の沈黙と孤独のなかで、私は多少なりともわが身を贖い、みずからの誇りを取り戻したいと思う。かつて私が愛した人々の魂よ、私が詠った人々の魂よ、どうか私を強くし、私を支え、世の虚偽と腐敗した瘴気を私から遠ざけてください。そして、あなた、わが神よ! 私が人間のなかで最下等の者ではなく、また私が卑しむ人々よりもさらに劣った者でないことをみずからに証するために、せめて数行の美しい詩句を生み出せるようどうか恩寵をお授けください!

    (渡辺邦彦・『パリの憂鬱』・みすず書房)
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 20:08 | comments(0) | trackbacks(1) |
    『パリの憂鬱』 6・誰もが自分の幻想を
     私は人々の内の一人に声を掛け、彼らがそうしてどこへ行こうとしているのか尋ねてみた。その答えは、彼も他の人々も行先のことについて何も分かってはいないが、進みたいという逆らいがたい欲求に常につき動かされているのだから、どこかへ向っているに違いない、というものだった。
     銘記しておきたい奇妙な点は、この旅人たちの誰一人として、彼らの顎にぶら下がり背中に張り付く凶暴な獣について、それが自分自身の一部分だとでもいうかのように、苛立たしさを些かも感じていない風だということである。どの顔も疲れ果ててはいるが絶望した様子もない生真面目な調子で、空という重苦しい天井の下、その空と同じ荒涼とした地上の砂埃に足を絡ませつつ、永遠に希望を抱き続けるという罰を受けた者の諦めと共に、彼らは歩き続けるのであった。
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
    粋な射撃家
     馬車が森を走り過ぎつつあった時、彼はとある射的場の近くに車を止めさせて、時間を殺すために二、三発撃ってみるのも愉快だろうと言った。この怪物を殺すことこそ、人おのおのの、最も普通で最も正当な仕事ではないだろうか?


    (阿部良雄・『ボードレール全詩集』・ちくま文庫)
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 12:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
    鏡(全文)
     見るからに恐ろしいほどのブサイク男が入ってきて、鏡を覗きこんでいる。
    「…なんで鏡で自分を見たりするんですか、不愉快にならずには見られたもんじゃないというのに?」
     ブサイク男は私に答える、「…失礼ながら、1789年の不滅の宣言によれば、全ての人間は平等の権利を持っています。だから私にも鏡に自分を映す権利はあります。そして、愉快か不愉快かを決めるのは私の意識だけに関わる問題です」
     良識の名においては、確かに私は正しかった。だが、法律の視点からすると、彼も間違ってはいなかった。
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
    恐らく諸君は私に云うであろう、「お前はその架空譚を真実と思いこんでいるのか?」と。けれども、もしもそれが生を営むべく私を援け、私の存在を感ぜしめ、私の何ものであるかを知らしめたからは、私の外部に置かれた現実の如きが、ついに何ものであろう。


    (三好達治・『巴里の憂鬱』・新潮文庫)
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
    天職
    僕にとっての愉しみは、ただ自分の前をいつまでも真直に進むこと、何所へ行くのかも知らず、誰にも心配を掛けないで、そしていつでも新しい国々を見て廻ること、とそういうふうによく思ってみることがある。僕は何所にいても決して為合せじゃないが、どこか現にいるところ以外の場所に行ければ、もっと為合せだろうといつも考えるんだ。


    (福永武彦・『パリの憂愁』・岩波文庫)


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    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 12:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
    既に!
    ひとり私だけが悲しかった、人に知られぬ悲しみがあった。神性を奪われた司祭にも似て、私は悪魔のように誘惑的なこの海から、その恐るべき単純の中に無限の変化を蔵しているこの海から、胸抉られる苦悩の思いなくして離れることが出来なかった。


    (福永武彦・『パリの憂愁』・岩波文庫)

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    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 11:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
    もはや好奇心も野心もなくしてしまった人にとって、旅立つものや帰って来るもの、希望を保ち、旅や富を求めたがっている欲望を持つものの動きの全てを、展望台で横たわりながら、あるいは防波堤に寄り掛かりながら眺めることには、一種神秘的で貴族的な楽しみがある。
    | 小説・散文詩(パリの憂鬱等) | 17:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
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