ボードレール語録

「悪」印象が強いけれど、決してそれどころではないボードレールの魅力を広めたい一心で。

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    岩波文庫「パリの憂愁」
     ながらく探していた「パリの憂愁」を買った。
    中身は人文版全集に入っているのと同じ。

     新潮文庫「巴里の憂鬱」よりも時代が下った翻訳なので現代口語により近く、原文の忠実な再現を期したために直訳調の印象を与えがちなちくま文庫「ボードレール全詩集・小散文詩」と比べると意訳を多用しているせいか日本語としてこなれた感じ。
     一つ分かりやすい例を挙げるとこうなる。

    「犬よ、可愛い犬よ、私の親しい犬ころよ…」
    (新潮版「犬と香水壜」)

    「私の美しい犬、健気な犬、可愛いわんわん…」
    (ちくま版「犬と香水壜」)

    「可愛いわんわん、僕の大事な子犬君…」
    (岩波版「犬と香水壜と」)

     まあそれにしたって、四十過ぎのおっさんが犬に向かって「かわいいわんわん」って…。ああ、言うね。


     散文詩(poem en prose)というのは字の通り散文で書かれた詩であり、散文というのは、律動や押韻などの音響効果による語感や、語そのものが作り出す感情構造(シニフィアンの喚起するイマージュ)に頼らず、語の指示対象が作り出す感情構造(シニフィエが喚起するイマージュ)のみに重点が置かれているので、韻文詩に比べて訳しやすいとも一見思えるが、ところが。

     文学作品すべてに共通することだけども、翻訳の際に大事なのは、語の指示対象そのもの(シニフィエ)ではなく、指示対象が作り出す感情構造(シニフィエが喚起するイマージュ)なのであるわけなので、その上で文意に適合した指示対象を見付けだしては当てはめるという作業をしなければ作品性が失わてしまう。双方の言語同士の間で、皮膚に対する手袋のように一致する観念であれば問題ないけれども、そう上手く見つからない場合も多く、そこで意訳という手段が必要となるのだがしかし、意訳は本来の作品性を失わせはしなくても歪めてしまう欠点がある、というわけで恐ろしく難し気なものなのである。

     ただでさえ難しい翻訳に加え、ボードレールの書く文は多義的で屈折していて晦渋で錯綜していて逆説的で回りくどくて訳者泣かせ、という評判が立つほど訳しにくい、というか読みにくいことが更にその難しさを増大させているわけで、やれやれ、あらかじめ日本語に訳されたものを手軽に読める時代に生まれた気軽な読者でよかったなあ、と胸を撫で下ろすことしきりな最近、他人事のように訳者の苦闘に思いを馳せ、よくやった! 感動した! などと本に向かって独り言ちてはへらへらしたりしているぼくではあるけども、真剣に畏敬の念に堪えなかったりする。剣呑剣呑っつって。

     かくも困難な闘いの末に送り出された岩波文庫 ボードレール作・福永武彦訳「パリの憂愁」は、作品の感情構造を保ちながら、現代日本人の言語感覚に割と近い言葉遣いでの表現が成功を納めた素晴らしい翻訳であり、初めてボードレールを読む人にもお薦めの一冊なのだけれども。
    「憂鬱」に比べて「憂愁」という語にキャッチーさが足りないためか、親しみやすさが逆に有難みを減少させるのか、果たしてその両方なのか、現在生憎絶版中。惜しい。

     古本屋では¥100円やそこらで、ワゴン棚なんかに打ち交っているので、探してみるといいと思う。


     そこまではしたくないという向きの方は新潮版、壮麗な訳で有り難みもあるし、いつでもどこでも手に入るし、何よりもタイトルがキャッチー。


     新訳でねえかな、と他人事のように思うこの頃、来月にプレイヤッド版を買ったら自分でやってみようかなあ、と考えたりするので、やってみようかなあ、と思う。

    | ボードレールについて | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
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