ボードレール語録

「悪」印象が強いけれど、決してそれどころではないボードレールの魅力を広めたい一心で。

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    1859年のサロン
     簡潔であるために、基本定式から派生するもろもろの系の一群を省略しないわけには行かないのですが、言うならば真の美学の公式のすべてを内に含んでいるその基本定式は、次のように言い表すことができます。
    目に見える全世界は、想像力によってそれぞれ相対的な位置と価値とを与えられることになる影像や記号の倉庫に過ぎない。それは、想像力が消化し変形させなければならぬ一種の飼料である、と。人間の魂のあらゆる能力は想像力に従属させられねばなりませんし、想像力はそれらをすべて同時に徴用するのです。辞書を良く知ることが必ずしも作文の術の知識をもたらすものではなく、作文の術そのものが普遍的な想像力をもたらしはしないのと同様、すぐれた画家がただちに大画家であるとは限りません。しかし大画家は必然的にすぐれた画家である、なぜなら普遍的な想像力はあらゆる手段に対する理解とそれらを獲得したいという欲求とを含んでいるものだからです。
     このようにして私がどうにかこうにか解き明したばかりの諸概念に従えば(まだ言うべきことはいかにもたくさんあるでしょう、とりわけ、あらゆる芸術の互いに一致する部分だとか、それらの方法における類似だとかについて!)、芸術家たち、すなわち芸術の表現に身を捧げた人々の巨大な階層は、まことに截然たる二つの陣営に区分され得ることは明らかです。自らレアリストと名乗る芸術家がいて、この語は二様に解されるし、その意味がはっきり決定されてもいないので、われわれとしては、彼の誤謬をより良く特徴付けるために、彼を実証主義者と呼ぶことにしますが、彼はこう言うのです、「私は物たちをあるがままの姿に、というか、私が存在しないと仮定した場合にそれらがあるであろうままの姿に、表象したいと思う」と。人間なしの宇宙。これに対して別の人間、想像力ゆたかな人は言います、「私は物たちを私の精神でもって輝かせ、その反映を他の精神たちの上に投影したいと思う」と。絶対的に相反するこれら二つの方法はいずれも、宗教的場景から最もつつましい風景に至るまでのあらゆる主題を偉大ならしめることも卑小ならしめることもでき
    るわけですが、それでも、想像力にめぐまれた人間はこれまで概して宗教画や幻想画に姿を現す定めでしたし、これに対して、いわゆる風俗画と風景画とは、見たところ、怠惰でなかなかに奮い立たぬ精神たちに宏大な資源を提供せずにはいませんでした。
     想像力ゆたかな人たちと自称レアリストたちの他にもさらに、臆病で従順な人間たちの一階層があり、彼らは偽りの尊厳性の規範に従うことに精いっぱいの誇りを感じているのです。ある者たちは、まったく約束事の規則、人間の魂から引き出されたものではなくてただ単に有名なアトリエの慣行によって課されているに過ぎぬまったく恣意的な規則に、自ら準拠するのです。人数だけはきわめて多いが興味を呼ぶところのかくもすくないこの階層の中には、古代芸術の似非愛好家たち、様式の似非愛好家たち、一言にして言えば、自らの不能によって、紋切型を様式の位にまで昇格させてしまったあらゆる人間たちが含まれるのです。


    (阿部良雄・「ボードレール全集」・筑摩書房)
    | 批評・エッセイ | 10:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
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